林檎園

表現開放

執着と諦め

よく人生本のノウハウであきらめが肝心と、部屋の掃除の裏技みたいな感覚で紹介されていることがありますが実際難しいですよね。

 

自分の夢や思いを断ち切るってなかなかできないもの、解脱に近いわけです、菩薩になるいわばお釈迦さまやキリスト様になるわけですし凡夫の道としては険しい。

 

トップブロガーになるという夢は無謀と思って諦めようと思っても、仕事をしたり寝る前の目をつぶっているときとかに何度か思い起こして執着心が出てしまうと思う。

 

多分死の床につくまで後悔の心は残るだろう、そういう覚悟を持つ

しかし覚悟を持つというのもトップアスリートやエリートサラリーマン

 

修行によって自ら得ることが出来る諦念の三昧境地より、 中途半端をもんもんとして生きるてあげく自分は諦めることが死の床までできない!という神様や自然に対しての観念する、ダメだこりゃの方が自分の実情に合っていると思います。

 

総合てきに纏めると凡人なわけです。

中途半端、これが自分なのです。

 

夢を捨てる事は出来るのか?

死ぬまで中途半端に付きまというものではないか?

そこの欲深さに観念してしまっているのです。